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学生がデザイン&設計した公共施設!「君田そらのにわ」完成から10年同窓会

ジャーナル

2025年04月07日

学生がデザイン&設計した公共施設!「君田そらのにわ」の完成から10年同窓会

ある小さな建築の10歳を祝う
広島県三次市のさらに北に位置する県道39線沿いにある道の駅「ふぉレスト君田」をご存知でしょうか。道の駅の名前より、むしろ温泉施設「君田温泉 森の泉」と言ったほうがピンとくる人も多いかもしれません。中国自動車道と接続する松江自動車道の口和ICから近いこともあり、寂しげな山間の谷に突然現れる賑やかなスポットです。他に数多ある道の駅と同様駐車場は広く、敷地内には公衆トイレの建屋があります。ガラスの屋根が目を惹く佇まいを持つこの小さな建築の正式な名称は「君田そらのにわ-OGINAU」というものです。しかし当然と言えば当然ですが、ほとんどの人にはその名前は知られていません。むしろ最近はSNSの影響もあり、巷では「ラビリンストイレ」という愛称がついているらしいのです。
ラビリンストイレ、という愛称はある意味このトイレの謂れをよく言い当てています(その理由は後で簡単に説明しましょう)が、実はこのトイレは穴吹デザイン専門学校の学生グループの設計がコンペの最優秀に選ばれ、その後の実施設計と設計監理を地元の設計事務所と協働し、施工する工務店など多くの大人たちに支えられて2015年3月に竣工したものです。それがちょうど今年で10周年を迎えます。そこで、自分たちの生み出したこの建築の10歳を記念して現地に行ってみよう、ということになりました。彼らはいま広島市内だけでなく、島根、福山、山口、そして東京で、それぞれの人生を歩んでいます。私たちは一度広島駅で集合し、一台のワゴンに乗り合って現地に向かいました。卒業生同士、久々に顔を合わすメンバーもあり、車内は懐かしい昔話に花が咲きました。

勢いでコンペに出す
2013年、広島県がはじめた(おそらく日本初の)学生のための実施コンペ「ひろしま建築学生チャレンジコンペ」。通常よくあるアイデアコンペでは、学生は「絵に描いた餅」はつくれたとしても、実施設計と監理に携わることはありません。これに参加して最優秀賞を獲れば、単に学校で授業を受けている以上の経験になることは明らかでした。週ごとに開催していた「空カンゼミ」でこのコンペを紹介すると、1年生だった6名がグループでやると申し出てきました。当時、このコンペに応募できるのは広島県にある建築の学校に限定されていました(いまでは全国から応募できるように「なってしまいました」)。そして審査員は広島を拠点に活躍する建築家3人と行政担当者が3人。その中で審査員長は地球と建築の関係を問い続ける作品で世界的に有名な建築家の三分一博志氏。審査員の考えを理解して設計をしてくれたら、この規模のコンペであればいい線は行くだろうな、という直観はありました。ただ、それがまさか半年後に本当に最優秀に選ばれ、彼らの設計した建築が出来てしまうとは。シナリオが上手く行き過ぎた気もしますが、それは全て彼らのチャレンジが呼び寄せた結果でした。
簡単で事務的な設計の記録
そんなわけで「空カンゼミ」でコンペ室が立ち上がりました。夏休みに現地の視察や何回かのミーティングを開きつつ、この場所にどのようなトイレが求められているかをリサーチし話し合いが持たれました。コンペでは今後見込まれる観光客の増加に対応するために、トイレのキャパシティを倍増して敷地内にこれと同規模の新しいトイレ棟を計画せよ、というオーダーでした。彼らの提案には独特の視点がありました。他の提案者がすべて要望通り素直にトイレを「新築」する提案だったのに対し、彼らは戦略的に「増築」という選択肢で勝負することにしたのです。この「逆手を取った」コンセプトは、景観を尊重することにも、工期の見通しやすさにも、経済的かつ機能的(何を機能と考えるかは別の問題ではありますが)にも利点が多かったのです。何より、新築のために駐車場を削る必要がほぼないことは運営面を考えれば有利なことは明らかでした。あとはその場所の気候や気象条件を魅力に変えるように、既存棟の外壁に新しく必要な便器を設置し、屋根を延長し、新しい壁を半外部となるルーバー(ブラインド状の羽板を並べたもの)で囲いました。新しく延長された屋根はガラスで葺くことにし、新しいトイレのエリアを明るくすると共に刻々と変わる空の様子がそこに映し出されるようにしました。
1年生だった彼らはみんなで手分けをして手描きで図面を描きました。模型もつくりかたを指導しながら仕上げていきました。CGの使い方をクラスメイトなどと見よう見まねで作業をしました。工業高校で建築を学んできた学生が技術的な部分でリードし、コンセプトを理解し説明に長けた者もいましたし、ムードメーカーがいれば、話し合いのファシリテーターとして存在感を見せる者も、ササッと可愛らしいスケッチが得意なのもいて、それぞれが役割を果たしつつ進んでいきました。提出したボードは、他の提案者のようにきれいに大判プリントされたものではなく、厚紙にそれぞれの描いた図面やパースを貼り付けた当時にしても極めてアナログなしろものでした(よって完全版のデジタルファイルは存在しないのです)。しかし、それでも彼らの提案は狙い通り1次審査を通過し、ファイナリストに残りました。2次審査のプレゼンテーションに向けて、考えられる質疑応答対策もしっかり準備しました。彼らは普段の授業を担当してくれる多くの講師に自分たちの案を見せ、想定される突っ込みどころを潰していきました。そうして、プレゼン当日は6人で役割分担し、模型とスライドを使って説明しました。1年生だった彼らはその時まだ審査員の建築家たちのこともそれほど理解していたとはいえず、ある意味彼らの前でプレゼンすることに対し「畏れ多い」という感覚が(おそらく)無かったのも幸いしたのかもしれません。同じファイナリストで建築家を良く知っている大学4年生や大学院生などと比べても堂々としたものでした。プレゼンは公開審査だったのでクラス全員で応援を兼ねて傍聴しに行きました。だから、その日の夕方に彼らが最優秀賞として選ばれた瞬間は、クラスメイトにとっても思い出深い一日となりました。ちなみにタイトルにある「OGINAU」はご想像の通り「補う」という日本語から来ているものです。既存のトイレの不足を補うために最小限の手続きでデザインすることや、6人の個性あるメンバーがそれぞれの得意を活かし不得意を補いあう、という意味も忍ばせて誰からともなく生まれた合言葉になったのでした。
簡単で事務的な設計監理の記録
秋に協働する設計事務所が決まり、冬に施工会社が決まりました。打合せは月イチくらいのペースで行われ、学生たちも交えてぼんやりした「絵」や「模型」でしかなかった想像上の建築が、詳細な数値に収まり、ディテールを伴って図面やモックアップ(実寸などの部分模型)として目の前に現れ、判断し、指示を出していく日々が始まりました。現場にも何度か重要なポイントで立ち会わせてもらいました。多くの職人さんたちが自分たちの描いた建築を築いていくことに彼らは何を感じていたのでしょうか。
もちろん予算とも格闘しなければなりませんでした。実施設計を担当する設計事務所が描いたコストを抑えるための代案の中には、自分たちの設計とは程遠い仕上げになる可能性も含まれていましたが、根気強く対案を示し、粘り強く、なるべく原案の良さを失わないように努めました。結果として、妥協した部分はいろいろあるものの、何とか「いい建築」と呼べるクオリティにはなったのではないかと思います。日本の権威ある業界誌「新建築」(2015年5月号)に掲載が許されたことがそれを客観的に説明してくれることとなりました。学生や私を含めた関係者にとっても、これは存外の喜びでありました。
そして10年が経った
ラビリンストイレ、つまり迷路のようなトイレ、ということでしょう。既存トイレの外側に新しいトイレを増設してひとつの屋根で覆ってしまったために、男子トイレと女子トイレ、障碍者等対応トイレがそれぞれ二つずつ異なる配置と入口を持つかたちで共存しているため、迷路のような通路が生まれていることから名づけられたのだと思います。さすがに大きな案内図やサインが至る所に後から設置され、設計側としては少々景観を損ねてしまって残念に思う部分はあるのですが、そこは利用者目線で考えればにこやかに受け流すしかないでしょう。それでも竣工当時と変わらず、ガラス屋根は浅い勾配で道行く人に空を映し出し、特徴的な外周の木製ルーバーは痛んだ部分は取り替えられ適切にメンテナンスも行われており安心しました。またここは豪雪地帯であるため、訪問時は雪に包まれてかまくらのようになっていました。ルーバーの上に苔やキノコをはやしている部分もありました。自然の一部になっていると言い換えればいい風化の仕方ではないかと思います。
集客のメインである温泉施設はコロナ明けに一時営業を中止しましたが、新しい運営会社が決まり再開してくれたのでますます人出も増えるだろうと思います。ラビリンストイレと呼ばれ笑われても結構。それはこのトイレがここまで語ってきたような独特な履歴を持っていることの証でもあります。話題になってくれるくらいでちょうどいい。Instgramでよく再生されているこのラビリンストイレの動画を見たらぜひ、「本名は『君田そらのにわ-OGINAU』ですよ」とコメントしてほしい、とは思いはしますが。。
以下は、今回の同窓会後に卒業生から届いたメッセージを紹介します

【清水均さん】
現在 SPEAC(東京) 勤務
担当に 兜町第7平和ビルSUPERNOVA KAWASAKI

(当時を振り返って)いつまでに何を決めるのか。設計者と施工者、事業者、多くの人が関わり、検討しながらようやく一つの建築ができあがることを感じれました。専門的なことを学べたこと以上に、プロフェッショナルな姿勢を社会に出る前に肌で感じられたことが貴重でした。私たち学生にも皆さん真摯に向き合って意見を聞いてくれましたし、おかげでカッコいい大人に近づきたいなー、という気持ちを社会に出た後ももてたように思います。また、空カンゼミから始まったものが、県の人や地域の人などいろんな人の共通の記憶になったことが、いま思えば感慨深いです。1人で完結できないところが、建築の一つの面白さや醍醐味なのかもしれないとも感じます。

(この経験が成長させてくれたこと)
現場を見たり、施工者と話すなかでわかったことも増えたのですが、同時に分からないことも増えていきました。そのまま竣工を迎えたわけですが、この経験に見合う自分にはなれてないなと感じていました。これはこの経験だけでなく、2年間の学生生活を通じて感じていたことでもあります。今日まで続く、この「分からない」の消化不良状態が建築の世界への好奇心を維持してくれたのかもな、と思います。この感覚が、東京での暮らしや、共に仕事をする多くの人々からも学びたい、色んな建築の見方ができる場で働きたい、と背中を押すきっかけの一つだったんだろうと思っています。
改めてありがとうございます。いろんな問いを投げかけて頂いたことが今日につながっています。 

【錦織沙希さん】
現在IMU建築設計事務所 勤務
担当に 海士東の長屋 ほか

当時、建築のことはなにひとつ分かっておらず、コンセプトのみ理解していたのだなと今となっては思います。メンバーは6人でしたがコンペに向かう本気度も全員違い、(気分的なことも含めて)自分ができることをする、みたいな感じで、みんなそれぞれの個性を発揮してマイペースに取り組んでいたように思います。

今となって思うことは、雪が降ったときに「かまくら」になることを想定して設計し、雪の日に実際に想定していた姿が現れることが、すごいなと思いました。実務をしていて、自然を相手に風や光、雨、雪を読んで設計し、その通りになってくれることは本当に難しいと実感しているからです。チームだからできた深い考察に今更ながら感動しています。

当時の自分には、
根本的には何も変わっていないけど何年経っても楽しく建築をやっていること、
毎日一緒に学んでいるクラスのメンバーはけっこう素敵なメンバーだから毎日を大切にして、
と伝えたいです!

【Yuhei Hashi】
現在 米軍基地勤務

当時を振り返っても今もですけど、その時に、目の前にあるものに何となく自分の答えを探してるんだろーなーって思いました!右田くんはいつも面白いです。今は米軍基地でアドミンという職業で働いていて英語漬けの毎日です!
学生の頃に自分なりの答えで人生進んで良いんだと気づけたのはみんなのおかげです!

very respectful ,

【森下友也さん】
現在 エコデザイン工房(広島市) 勤務
新築、リノベーションなど多くのプロジェクトに携わる

提案から実際に建物になる初めての経験をさせてもらったのがOGINAUでした。最初は、身近なところ(実家が三次の君田町)にトイレができる!!という簡単な動機から関わらせてもらうことになりましたが、本当に実物ができるまで行くとはその時は思ってませんでした。

当時の僕に、今の僕が声をかけるとすると一生に一度のことが起きるから もっとコミットしろ!! と声をかけると思います(笑)。実際のところ、メンバーにおんぶにだっこで、あっという間にコンペ提案当日になってあっという間に竣工式、、、
でも、その中でも勉強することは多くて 一番感じたのは一つの建物に対して、関わっている(関わってくれる)人がとても多いということです。見えていないところでも動いてもらっていた人はたくさんおられると思います。
そしてその一人一人が、どこかにプライドやこだわりを持って仕事をされていることということです。
ある人は、早く作業を終わらせるということにこだわりを持ったり、
ある人は、小さなおさまりにプライドを持っている大工さんだったり、、、、
そして、その一つ一つのこだわりが、一つのものを作っているんだなと感じました。

そして設計士という立場は、そのこだわりをうまくコントロールして出来上がるものがより良いものにしていくことが一番の役割なんだな、いま感じてます。実務をするようになった今だからこそ、OGINAUは貴重な経験でした。
OGANAUメンバーに入れてもらえたことに感謝感謝です。

現在 株式会社右田工業 勤務

当時の事で印象に残っているのは予算が無く屋根が全面ガラスから一部ガルバリウム鋼板になった事を覚えています。そこで違う材料を模索せずガルバリウム鋼板にしたことを後悔した事を覚えているし今も思います。当時に戻ったら考え直したいのはそこです。今の僕は設計士として建築には関わってはいませんが鉄骨鳶躯体工事で建築と関わっています。躯体の鉄骨はダイナミックであって伸びやかで躯体の持つ素直な美しさがあると思っています。
仕上げで隠れてしまう事がもったいないなと思う事があります。
それと、設計士として頑張っているみんなが誇らしいです。また会いましょう。

【増井和哉さん】
現在 MORK建築設計事務所 共同主催

当時の経験の中で印象に残っているのは、工事を進める過程でルーバーの実物大モックアップを製作してもらい、それを確認したときのことです。当時は図面上でしか考えられなかったことが、実物を目にすることで細かな角度や材質などを直接確認でき、考えていたことが形になっていく実感が湧いたのを覚えています。

この経験を通じて、図面だけでは見えない細部の重要性を実感し、より具体的にイメージしながら考える力が身につきました。実物を確認することで、設計と現場の違いを理解し、調整や改善の視点を持つことができるようになったと思います。考えていたことが形になっていく過程を体感したことで、ものづくりに対する責任感と達成感も深まりました。

「当時の自分に伝えたいこと」
頭で考えていることが、実物を見ると一気にリアルになる。適当にやってても、いざ形になると考えが変わる。その瞬間が結構大事だと思うから頑張って。

【國重奈乃加さん】
現在 MORK建築設計事務所 共同主催

当時のメンバーを見ていて感じていたことは、専門学校一年生で建築についてもよくわからず、コンペの意味すら理解していなかった私には、コンペで賞を取るというのは、手の届かない話だと思っていました。メンバーの皆が自分たちの可能性を信じてイキイキとしている姿を見て、単純に羨ましく感じていたと思います。そんな皆が最優秀賞に選ばれたことで、自分にもできるかもしれないと可能性を広げてくれたと思います。

今のみんなを見ていて思うことは、学生時代から見えていたそれぞれの核?芯?(ものづくりに対するアプローチや関わり方、そして人柄など)が、いい意味でそのままでいてくれることに安心します。個性豊かなメンバーだけど、その人らしさを受け入れるおおらかさがみんなにあって、そのおおらかさが君田のトイレにも、とても現れているなと改めて感じました。私の建築・デザインの基盤を作ってくれた人たち。そんなみんなが離れた地ではありますが、
各々に自分らしく存在してくれるだけで心強いです!これからもみんなの活躍を感じながら、私もみんなのように自分らしく、進んでいけたらいいなぁ!

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